アメリカで出産〜ケース3(無痛分娩、早産、NICU)〜

アメリカで出産〜第一子編〜」では、子宮奇形によるリスク妊婦から始まり、26週での出血と地獄の入院生活、(あまり効かなかった)初めての無痛分娩、そして回旋異常からの出産について書きました。

さらに「アメリカで出産〜第二子編〜」では、中隔子宮の手術を経て、第二子妊娠から28週での謎の出血に人生初めて救急搬送され入院、無痛分娩とスピード出産に、予想よりも大変だった産後について書きました。

今回は、「アメリカで出産〜第三子編〜」になります。三度目の正直でとても順調だった妊婦生活でしたが、予定日よりも1ヶ月早く産まれ、NICUでお世話になりました。そして、産後に衝撃の事実が判明したのでした。

世界的パンデミックの中、妊娠発覚

コロナウイルスが中国からアジア、そして世界へ広まり出した頃に第三子の妊娠が発覚しました。産婦人科へは普段は付き添いがOKですが、私が通い出した頃には付き添いはなしで妊婦のみの通院が義務付けられました。

まだワクチン接種は始まっておらず、妊婦の感染リスクが高いこともあり注意が必要でした。ちょうどつわりの真っ只中にロックダウンが始まったので、外出はほぼせずにずっと家の中で過ごしていました。

それと同時に息子の通うプリスクールも1ヶ月半ほどお休みとなったり、先生が感染し息子も濃厚接触者に該当したため2週間お休みになったりと、つわり中の1歳児と3歳児との自宅隔離はなかなか壮絶なものでした。

つわりは三者三様

第一子の時はつわりがひどくベッドから起き上がれないほどでしたが、吐くことはありませんでした。また、第二子の時には処方された薬が効いていたので、だいぶ吐き気が軽減され、吐くことはあまりなく食べづわりでした。

第三子の場合は、第一子ほどひどくはなかったのですが、薬が処方されたもののあまり効き目がなく、吐きづわりだったため、毎日のようにトイレへ駆け込んでいました。しまいには3歳の息子に心配され介抱される始末。笑

つわりに関して第二子までの経験から、私は吐き気はひどいけれど吐くタイプではないと思っていたのですが、やはり三者三様ですね!また、同じつわり薬を処方されても、効く時と効かない時があるようです。

順調な妊婦生活

コロナ禍ではありましたが、手術のおかげでリスク妊婦ではなく、また第一子と第二子の時のように妊娠中期で入院することもなく、とても順調な妊婦生活でした。担当ドクターも「今回は大丈夫そうね。」と太鼓判を押していました。

さらに、第二子までは妊娠後期は5kg以上のものを持ってはいけないなど生活に制限がありましたが、今回は切迫早産になることも後期つわりもなく、比較的快適に過ごすことができました。

35週で突然の腹痛と出血

予定日まであと1ヶ月となった頃、突然夜中に激しい腹痛がありました。5〜10分間隔の痛みが1時間続いた後、1時間おきに激痛に襲われました。翌朝には痛みが治まっていたのですが、念のため病院に連絡をしました。

ドクターからは診察の必要はないので、様子を見て、もしまた痛みがあれば連絡するようにと指示されました。お腹の張りもあったので、この日はずっと家で安静に過ごしていました。

しかしその翌日、昼前に出血がありました。休日でドクターのいる産婦人科は空いておらず、まだ35週だったので、前回入院していた病院の緊急入り口へと向かいました。これで三度目なのでもう入院覚悟でした。

出産へのカウントダウン

病院へ着くとコロナウイルスの検査とともにチェックが入りましたが、子宮口が3〜4cm開いているため即入院となりました。赤ちゃんが外に出るにはまだ早いので、もう少しお腹に留めておきたいところ。

万が一に備えて、ステロイドの注射をしました。病院到着から4時間後には子宮口が5cm開いており、ついに陣痛が始まりました。あとから考えると、昨日の腹痛は前駆陣痛で出血はおしるしだったようです。

ちなみにコロナ禍(2020年12月時点)で、出産の立ち会いは1名までOKでした。他の子ども達のこともあり、病院へは私1人で向かいました。するとナース達にパートナーは来る?何時ごろ到着するの?と何度も聞かれました。

今回は日本からヘルプを呼ぶことが出来なかったのですが、出産の日にシッターもやっているママ友が親子で我が家に泊まってくれ、他の子ども達を見てくれたのでとても助かりました。感謝!

3度目の無痛分娩

陣痛が始まってから良いタイミングで無痛分娩のための麻酔(エピデュアル)を入れてもらおうと様子を見ていたのですが、あっという間に痛みが最高潮に達し麻酔科の人が到着するまでひたすら一人で耐え忍んでいました。

麻酔を入れる時も、陣痛の波がすぐに襲ってくるのでガタガタ震えながらの注入になりました。麻酔のタイミングは自己申告なので、もう少し余裕のある時に早めに言った方がよかったなぁと思いました。

とはいえ、麻酔が効いてくると一気に痛みが消え落ち着きを取り戻し、出産までゆったり過ごしました。そして、病院到着から6時間後、子宮口が7〜8cmになり夫も到着したので、いよいよ分娩スタートです。

大爆笑からの楽しい出産

病院到着から7時間後、分娩開始。最初のいきみでバズーカのように水が噴射したのですが、これがまさかの尿だったのです。無痛分娩はトイレへ行けないのでナースが処理してくれるのですが、忘れていたようです。

ナースもドクターも「こんな経験初めてだわ!笑」と大爆笑の中仕切り直し。また、この担当ドクターは過去2回同じ時期に出産で休みだったため、今回はやっと三度目にして初めて取り上げてもらうことになりました。

さらに分娩中に「私も第三子妊娠中よ。」とまさかの告白もあり、逆に「おめでとう!」と私が興奮しながら、とても和やかな雰囲気でした。そして、娘は2回のいきみで出てくるというスピード出産となりました。

産後に衝撃の事実が発覚

出産後にドクターから「子宮内にまた壁ができている。」と言われました。この壁とは、中隔子宮の原因でもあり、第一子出産後に手術で取り除いたものです。「えっ!?一体どういうこと…?」

なぜかは分かりませんが、第二子出産後にまた子宮内に壁が形成されていたのです。これにはドクターもナースも首を傾げており、口々に”おもしろい”と言っていました。

とても順調だった第三子の妊婦生活も実は第一子と全く同じ状況でリスク妊婦だったのです。娘は窮屈な子宮で過ごし、早く外に出たかったのでしょう。早産になったのもある意味納得です。

早産によりNICUへ

予定日より1ヶ月早い出産。娘の体重は2300gあったのでそれほど小さくはなかったのですが、呼吸が自力でできない状態だったため呼吸器をつけしばらく様子を見ることになりました。

このような状態でも産後に数分カンガルーケアをさせてもらえたので良かったです。呼吸器をはずしてみてもなかなか自力で呼吸ができなかったので、出産から約5時間後にNICUへと送られました。

産後すぐに娘とは別々に過ごし、出産から2日後には私が先に退院することになりました。全身管につながれ、呼吸器を通して一生懸命呼吸している姿をただ眺めることしかできない自分に無力感を感じました。

もちろん授乳もできなかったのでひたすら搾乳機で母乳を出す日々でした。初めの頃は哺乳瓶でも飲めず、鼻から管を通してミルクを飲んでいました。そのため、初めて授乳できた日はとても嬉しかったです。

NICUチームのサポート

第二子までとはあまりにも違う産後だったので、私自身なかなか心に余裕が持てませんでした。退院についても日々の成長次第で"いつ家へ帰れるのか?”は誰にも分からないため、正直とても不安な日々でした。

ただNICUに任せるしかなかったのですが、娘は個室で厳重に管理されており、私の退院後、病院へ行けなかった日には電話で進捗情報を伝えてくれたりと、手厚いサポートに安心して娘を預けることができました。

ちなみにアメリカではNICUのことを”ニキュー”と言います。この呼び方に馴染みがなかったため始めは何の話をしているのか全くわかりませんでした。笑

NICUファミリー

NICUに入院中、毎日部屋にギフトやカードが届きました。送り主は”NICUファミリー”と言って、私達と同じように早産などでNICUにお世話になった家族が代わる代わるギフトを届けてくれたのです。

カードにはNICUにいた頃の写真と成長した姿の写真が載っており、メッセージが書いてありました。これらのおかげできっと大丈夫だと思え、より前向きになることができたと同時にとても励まされました。

見ず知らずの人にギフトを送ることはアメリカではよくあることですが、この”Pay It Forward”(善意を次の人に回す)はとても良い文化だなぁとつくづく思います。

クリスマスの奇跡

さて、NICUをどれくらいで退院できるのかは、それぞれ人によるので分かりませんが、娘の場合は12月19日に産まれて、年越しは一緒にできるといいなぁ、できるかなぁ…?という感じでした。

クリスマスイブにはだいぶ良くなってきたものの退院はできるかまだ分からないと言われていました。しかし、クリスマスの朝に電話があり、カーシートテストをクリアしたら退院できることになったのです!

思いがけないサイプライズ!イブからクリスマスにかけて一気に成長した娘。クリスマスを家族で一緒に過ごそうと頑張ってくれたのかな…!?私達家族にとって最高のクリスマスプレゼントとなりました。

やはり産後が辛かった

産後は、第三子も第二子同様に尾てい骨の激痛がありました。私は出産した日の翌々日に退院したのですが、自力で立ち上がることや歩くこともできず、車椅子や支えてもらいながら動くしかありませんでした。

さらに、アメリカではこのようなケースがあまりないのか、ナース達に全く理解が得られませんでした。笑 説明をしても「どうしたのかしら。おかしいわねー。」と不思議がられました。

無痛分娩とはいえ、やはりアメリカは産後から退院までが早過ぎるなと改めて思います。今回は娘のこともあり1日長く滞在できましたが、体がボロボロの状態で日常に放り出されたのでした。笑

第三子出産

順調だった妊婦生活とは打って変わって突然訪れた出産。早産によりNICUへ送られ、授乳することもできず、毎日24時間呼吸器や管につながれた娘の姿をただ見るしかできないのは心苦しいものがありました。

しかし、一夜にして驚異的に成長したおかげで、想像よりも早く退院でき、クリスマスを家族そろって自宅で過ごせたことは最大の喜びでした。また、サポートしてくれたNICUチームやNICUファミリーにも感謝です。

そして、産まれた時はどうなることかと不安や焦りがありましたが、先日無事に一歳を迎えました。食べることが大好きで、兄姉と同じくらいよく食べ、よく動き回りすくすく育っています。

第三子まで計3回に渡る私の出産ストーリーはどれも型破りであまり参考にならないかもしれませんが、これからアメリカで出産する方や、早産でNICUにお世話になっている方の励みに少しでもなれば幸いです。

 

愛を込めて…

Noriko