前回は「アメリカで出産〜第一子編〜」について、26週での出血、切迫早産で緊急入院、初めての無痛分娩(部分的に麻酔が効かなかったケース)などについて書きました。
そして、前回の記事にもあった「ハート型の子宮」についてですが、第一子を出産した後に子宮の手術を行いました。その後、無事に第二子を授かるわけではありますが、またもや一筋縄ではいきませんでした。
今回は、「アメリカで出産〜第二子編〜」ということで、子宮手術から28週での出血、入院、人生初めての救急車、無痛分娩にスピード出産、また産後について書いていきたいと思います。
ハート型の子宮(中隔子宮)
第一子妊娠の際に子宮奇形が確認され、ハート型の子宮の正体は”中隔子宮“であり、もし第二子を考えているなら手術をした方が良いということで、第一子出産から約1年後に手術を行いました。
“中隔子宮“の場合、胎児発育遅延や、流産や早産になりやすく、分娩時にも子宮収縮異常や胎児の回旋異常、分娩停止の原因となる可能性があるのです。(実際に第一子の時は切迫早産、回旋異常になりました。)
子宮奇形と聞くと、あまり聞き慣れない言葉に不安を煽るかもしれませんが、実は女性の5%にみられると言われており、稀なものでもありません。また、症状もほぼないので偶然発見されることが多いそうです。
子宮の手術
手術については、担当の産婦人科医から専門医へと紹介してもらい、まずは予約を取り、カウンセリングをしました。この時に現状について詳しい説明があり、どのような手術をするのか話した後、さっそくスケジュールを組みました。
手術は、”子宮鏡手術“といって難しい手術ではなく、日帰りでできるものでした。ドクターからも「サクッと終わるから大丈夫。」と言われたのですが、実際に早朝に手術が行われ、午前中には帰宅できました。
手術自体は、これから手術の麻酔をしますと言われ、そのまま眠って起きたらもう手術は終わっていました。わけが分からないまま無事に手術は成功!ベッドに横たわったまま異常がないかチェックをし、そのまま帰宅しました。
第二子妊娠〜つわりについて
手術から約1年半後、第二子を妊娠しました。そして、手術のおかげもあり、前回のような”リスク妊婦”ではなく、心配事もなくとても順調にマタニティライフをスタートさせたのでした。(つわり以外は…笑)
つわりは第一子の時ほどひどくはなかったのですが、2歳の息子のお世話をする余裕もなく毎日吐き気と闘う辛い日々でした。がしかし、実はアメリカではつわりに対して薬が処方されるのです。
このつわりの薬も人によって効果に差があるのですが、私の場合はこの薬のおかげでだいぶ吐き気が軽減され、助けられました。(この快適さと効率さ重視の文化がアメリカの良いところ!)
まさかの出血!28週で入院
さて、順調に胎児は大きくなり、今回は大丈夫とマタニティライフを楽しんでいたのですが、まさかの28週で出血!前例があったので入院を覚悟し、出産をする大きな病院のEMERGENCY(緊急用入り口)へと向かいました。
病院へ着くと、早速ベッドに横たわり、モニターで胎児の心音やお腹の張りをチェックしたのですが、何も問題はなく胎児は元気でした。そして、ナースが点滴の針を手の甲に刺したのですが、痛い、さらに出血…。
案の定、失敗。「血管が細くて〜」と弁解されましが、これはアメリカあるある!毎度のことなのです。苦笑 (この後、手の甲は内出血して青く腫れ上がり退院後もしつこく痛みが残ったのでした。)
人生初!アメリカで救急車に乗る
ステロイドの注射を打ち、次の指示を待っていると、「このまま救急車に乗るから。」と言われ、もう一つの病院(前回も入院した)の方へ救急搬送されることになったのです。
救急車に乗ること自体初めてで、頭の中はもうパニック状態でした。そして、寝たままベルトでベットにくくりつけられた状態で搬送されたのでした。(周りは緊迫していましたが、胎児も私自身も元気ではありました。)
そして、入院が確定し、前回お世話になった病院へ舞い戻ることとなりました。その後、ベビーモニター、血液摂取、エコー、など各種検査をし、ドクターの内診もしたのですが、幸い特に問題なしでした。
それでも前例があったので、出血が止まるまで念のため入院する事になり、結局5日間お世話になりました。前回のように投薬などはなく、ベビーモニターで胎児のチェックがある程度で、あとはひたすらベッドでゴロゴロする日々でした。
2歳児を家に残しての入院生活
前回のように深刻な状況ではなく、入院生活も楽ではあったのですが、1番の心配は2歳の息子でした。数日とはいえ1日の中で数時間しか会えず、夜も離れて眠るのもほぼ初めてだったので心苦しかったです。
もちろん彼にとっての身内(祖父母など)も近くにはいなかったので、朝早くからデイケアに預けられ、夕方に夫ともに病院へ寄って数時間ともに過ごす日々でした。(できる日は一緒にご飯を食べたり…。)
「魔の2歳」と言われる多感な時期でもあり、言葉自体も未熟な上、理解しているようでよく分かっていない部分もあったと思うので、病室で別れる時にはこちらが泣きそうになっていました。
5日間の入院生活が終わり、無事退院とはなりましたが、やはり正産期まで安静を言い渡されました。5kg以上のものを持ち上げることが禁止されたため、出産まで息子を抱き上げることができないのもまた辛かったです。
陣痛から病院へ
第二子といえど、前回が前期破水だったため、陣痛の具合が全く分からず、夜中に陣痛が来た時は緊張感がありました。間隔も狭くなり、もう限界というところまできたので、病院へと向かったのですが、、、
病院で色々とチェックしてもらい、陣痛の痛みは1〜10でどれくらいかと聞かれました。「8ぐらい。」と答えると、「そんなはずない、この子宮口の開きなら2か3くらいよ。」と笑われました。
この時点で「もう限界、すぐにでも出産だー!」くらいに思っていたのですが、甘かったです。笑 その後、「出産までまだまだだから1時間ほど歩いてきて。」と言われ、院内をひたすら歩き回りました。
1時間歩いた後、だいぶ子宮口も開いてきたので、そのまま無痛分娩のためのエピデュアルを入れてもらい、麻酔が効いてから仮眠をとりました。(陣痛の痛みも消え、出産に向けて体力温存できるのが無痛分娩の良いところ!)
超スピード出産
仮眠から目覚めると、もうそろそろ出産の準備をしましょうという事で、部屋が出産仕様に変わりました。(分娩室などはなく、普通の個室で出産します。)準備が整い、ドクターが到着したところで、いよいよ出産が始まりました。
本番は「吸って吐いて、吸って吐いて、吸って止めてプッシュ」という流れを繰り返し行うのですが、1回目のプッシュ(いきみ)で、我が子はスコーンと勢いよく飛び出してきました。
まさかこんなに早く出てくるとは夢にも思っていなかったので、ビックリしたのはもちろん拍子抜けしました。私も夫も心の準備をする間もなく、我が子と対面することになったのでした。
第二子は産後が辛かった
とてもスムーズな出産だったのですが、産後は前回よりも辛かったのです。私の場合、動くと尾てい骨に激痛が走り、自力で立ったり座ったりすることができず、歩くのもまるで老婆のようで寝返りも自由にできない状態でした。
さらに”後陣痛”で子宮が収縮するとともに、下腹部に激痛が走るのですが、産後しばらくはこの痛みとの戦いで、ただひたすら耐えておりました。(一応痛み止めももらえましたが全く効きません。笑)
そして、アメリカは産後退院するのが早いというのはもはや常識ですが、今回は母子ともに経過もよく、また第二子ということもあり、出産した日の翌日、1泊で退院の許可が出たのでした。(ボロボロの状態で帰宅。)
第二子誕生
手術も行い、万全の体制で迎えた第二子の妊娠でしたが、またもや出血と入院。(結局最後まで出血の原因は分からず。)それでも母子ともに問題なく無事に出産することができたのは奇跡でもあります。
また、第一子の時には無痛分娩にも関わらず、苦しい出産となりましたが、第二子は出産前にドクターと会話する余裕もあるくらい快適でパーフェクトな出産となりました。(産後に悲劇が待ち構えていましたが…)
やはり妊娠から出産するまで何が起こるか分からない!本当に想定外のことが起こり、色々なドラマがありますよね、、、三度目の正直とはならず、またまた予想外の展開となった「アメリカで出産〜ケース3(第三子編)〜」に続きます。
愛をこめて…
Noriko